Abyss

日々の思索と妄想と魑魅魍魎。三木清の『人生論ノート』とパスカルの『パンセ』が私の心の拠り所。Peace.

暮しに秩序を、心に一筋の光を

 暮しを整えたいと思った。暮しとは要素に還元され得ない事象であるが、それでも尚、試みとして整理していきたい。

 まず、暮しを支えることの一つは、仕事である。ここでいう仕事とは、生計を立てる手段としての職業という意味に限定したい。また、その意味に於いて、仕事に役立つようなこと(例えば、職安に行く、業界研究をする、これまでの失敗を振り返るなど)も仕事のうちに入れたいと思う。同様に、仕事終わりの休息も、次の仕事に取り掛かるための大切な活動だ。仕事とは、即ち、準備から始まり、実際に現場で働き、小休止して英気を養うという一連の活動である。

 人間の暮しから仕事を抜いてしまったら、やはり、寂しいと思う。だが、仕事を中心に置き据えたまでは良いが、その領域がどんどんと拡大していき、遂に生活の全てになってしまうようなことは―それは一時期の私の生活であったが―避けたいと思う。というのも、殊に私に関して言えば、どうしても美に触れる時間が必要不可欠だと感じるからだ。美とは何か。具体的に列挙しよう。美とは、まず美味である。旨さである。食事を大切にしたい。珈琲を淹れる時間、お米を研ぎ、正確に水量を計測し、炊飯する愉しみ、パンの焼き具合を眺める愉しみ、母と食事を共にする愉しみ、食べ終わった後に吸う煙草の愉しみ、そのような食事の愉しみは、少なくとも三食の内の一回くらいはありたいものだ。次に、美とは風景の美しさである。空の色や雲と太陽の配置、川のさざ波、草木の姿形は、いつ見ても心穏やかになる。子どもたちが犬と一緒に走る。老人たちが寄り集まって談笑している。ヤンキーたちがスケボーでスキルを魅せ合っている。ガールたちがダンスに興じている。そういう人間模様を、一歩引いたところから眺めるのも(絡まれるのはまっぴらごめんだが)好ましい。しかし、何といっても、猫。猫の歩く姿は、人間には遠く及ばない美しさと威厳を備えている。猫は人間のペットのような扱いを受けているが、実態は逆で、猫が人間の主人なのだ。犬もまた然り。犬は人間と共存しているが、それは奴隷としてではなく、良き隣人として接してくれているのだ。事実、犬は人間にペコペコしたり、謙遜したりしない。犬は、人間の友である。猫は人間の主人である。犬や猫を眺めるのは、恐らく、今の私にとって最も美に触れる瞬間だろうと思われる。

 美といえば、文章、音楽、映像があるが、これらについてはもう語るまい。これまで散々語ってきたのだ。表象藝術について、あれこれいうのは止める。鑑賞し、批評し、感想を述べて、愉しめばいいと思う。大袈裟にする話ではない。既に生活の一部になってしまっているのだから。

 散歩についても、これまで散々書いてきたから、もう止める。一日に一時間から二時間程度、没頭しながら歩けばそれでよい。筋トレについても同様。一日15分から30分程度、スクワットや腹筋運動をすれば済む話だ。大した話ではない。

 そういう訳で、とりたてて新しい発見や工夫があるわけではない。今まで通り、平常運転で行けばいいと思う。注意としては、あまり寝すぎないことと、悲観的に傾かないことの二点である。自分を可愛がる時間と作業に没頭する時間の二つを、一日の中になるべく沢山挿入していきたい。

 暮しに秩序を、心に一筋の光を。