Abyss

日々の思索と妄想と魑魅魍魎。三木清の『人生論ノート』とパスカルの『パンセ』が私の心の拠り所。Peace.

美しいものの愛で方

 美しいものや美しい人を傍から観るとき、私は、どうしても自分の容姿の醜さ、性根の不潔さ、嫉妬心などと照らし合わせて観てしまう。そのように照合している間は、どんなに美しいものも、段々と不潔な雰囲気が漂ってくるような気がする。結局同じ人間なんだから、あいつも俺も同じ人間なんだから、同じ様に汚いもんだ、などというような非難めいた考えが浮かんで来る。

 そこで方法を考えた。明瞭に観ようとすればするほど、相手の美しさが事細かに分かってくると同時に、その美しさの要素は、私個人の中に求められない要素である、と。脳は見たいものしか見ない、とも言う。見たいものとは、欲しいもの、足りないもの、求めているものである。隣の芝生は青く見える、とは脳機能的に正しいのだろう。

 今、喫茶店の中で本を読む私の目の前に、美しいカップルがいる。男の方は長身の痩せ型、小顔で、髪は黒く艶があり、毛先は少しカールしていている。前髪が長く、鼻の下まで伸びていて、目線がはっきりせず、その分艶っぽい。白いウールのセーターの下に深緑のシャツを着ていて、同じくウール製の薄茶色のスラックスを履いていて、灰色の靴下が裾から見えている。黒い革靴はよく磨かれていて、黒い髪とよく似合う。彼女の方は、パッと見ただけでドギマギするような美人である。彼氏と同じく、長身の小顔で、手足が長く、先端に行くにつれて細く、長く、靭やかに伸びている。右手の中指と人差し指の間には火の点いた煙草が挟まれている。焦げ茶色のショートヘアで、空色のセーターと、黒いストレッチパンツが踝まで包んでいる。足元はランニング用のナイキのスニーカーで、足の形によくフィットしているようだ。きっと普段からウォーキングやフィットネスに精を出しているんだろう。スポーティな健康的な美しさと指に挟まれた煙草の絶妙な調和が、彼女の天使のような顔に魅惑的な印象を与えている。

 私は思う。美しいものは遠目から見たほうが良い。眼鏡を外して見たほうが良い。これ以上近くで見たら、美しさが溢れてしまう。美しいものもいつかは滅ぶ。その事を思えば、あまり接近しすぎても、愛別離苦の苦しみを味わうことになる。

 まだまだ私は美しさからの適切な距離を掴めずにいる。外見と中身。魂の善さと美しさ。生活様式の穏やかさ。女神信仰。官能的な美と信仰の美。あれもこれも、とは行かないのだ。私は、何よりも、欲張りすぎる自分を少し見つめ直さねばならない。