Abyss

日々の思索と妄想と魑魅魍魎。三木清の『人生論ノート』とパスカルの『パンセ』が私の心の拠り所。Peace.

新生活の様式美

 新生活には新習慣が必要だ。新習慣とは新しい考え方、気持ちの整え方、動作の仕方、即ち、新しい様式美の追究である。新しさを求めて新しさを作ることは出来ない。それは、結果として至極凡庸なものに留まるだろう。現在までに培われた様式を振り返り、改めるべき点と保守すべき点を見極める賢さが無ければ、新しい生活は導くことができないように思う。

 まず、改めるべき点から点検してみよう。私は起床時間が不安定である。6時に起きたり10時に起きたり14時に起きたりしている。それは、即ち、寝る時間が不安定であるからである。寝る時間が、23時だったり深夜だったり早朝だったりするからである。起床時間と就寝時間の固定化は、まずなにより改めるべき点である。

 私は夜中に買い食いする悪習慣があるので、これも直したい。それにしても、なぜ買い食いするのだろうか。特に大した理由は無い。近所のコンビニが儲けているだけである。かといって別に特典がある訳でもない。「また来たね」的なアットホーム感を求めている訳でもなく、今は実家暮らしなので、独り身の寂しさを埋め合わせるためでもない。単純に、夕飯が足りないのかもしれない。または、食欲に見合っていないのかも。私は母と夕食を一緒にするのであるが、母は私の健康を気遣って(痩せさせようと思案して)健康食品を並べてくれる。それは有難いのであるが、やはりどこかで、「もっとお腹一杯になるまで食べたい」と念じているのだ。その気持ちが、夕飯を食べた後にも引き摺って、夜中こっそり家を抜け出してしまい、菓子パンやらインスタントラーメンやら炭酸ジュースやらを買い込ませているのだ。詰まり、私の食習慣は、朝起きられない為に朝食が抜きになり、昼ご飯、晩ご飯、夜食の三回になってしまっている。これが大問題で、全然痩せないどころか、朝から胃もたれして、どうも具合が悪く、二度寝してしまって貴重な午前を無駄にしてしまっている。これは、もはや精神的な問題ではなく、食習慣の問題である。これも明日から改めねばならない。

 さて、改めると言っても、どの様にすればいいのかを考えねばならない。食欲が多すぎるのが問題なら、満福中枢を上げる様な試みをすればいい。または、夕飯を食べる前に軽くシャワーを浴びて、さっぱりしてからご飯を頂く、というルーティンにすればどうだろうか。実際、このシャワー問題は重大なのだ。先にも述べたように、私の食習慣は、現在、昼食→夕食→夜食となっている。問題は夜食を食べる時の姿勢である。後ろめたさがある為、ダイニングテーブルで食べることができない。自室に籠って、しかもベッドの腹ばいになりながら、YouTubeの馬鹿動画を観ながら食べるという奇妙なルーティンが出来上がってしまっている。更に悪いことに、あの後ろめたさというやつが、高カロリーなジャンクフードと相俟って、無性に旨く感じさせてしまうのだ。背徳感は食欲を増進させる。これは普遍的な真実と言っていいのではなかろうか。そうしてドカ食いした後、歯も磨くのも億劫になって、シャワーを浴びることなくそのまま眠りこけてしまう。最悪なのは、電気がつけっぱなしで眠ってしまっている場合だ。大抵、眠りが浅く、夢見も悪い。朝起きても、深夜に食べたジャンクフードが消化されていないので、お腹が突っ張り、気持ち悪さもある。両親が仕事に出た後、またもう一寝入りしてしまうのは、この気持ち悪さから逃れる為である。気づけばもう午後二時半である。そして、その頃になって漸く「罪悪感」らしきもの、「失望感」らしきもの、自暴自棄な、投げ遣りな気持ちになる。面倒だ、退屈だ、「どうせ痩せっこない」といった諦めも訪れる。

 つまり、私の根本的な問題は、食べるタイミングでもなければ、食べる内容ですらなく、食べることに対する背徳感である。この背徳感が、より一層、自室に引き籠らせてしまう。背徳感を感じないように工夫することが、まずは何よりも大切だ。

 今述べた、起床時間と就寝時間の固定、食事の改善、睡眠環境の改善、お風呂の時間や歯を磨く時間の固定というのは、殆ど小学生かもしくは幼稚園レベルの話である。だが、ここが最も大切なのだが、大人(28歳)になっても、否、お爺さんになっても、改善するときは、幼稚園レベルから見直すべきなのだ。逆に言えば、幼稚園や小学校中学校の義務教育で習ったことは、一生涯、私を支えてくれる常識であり続ける。無論、常識でも時代にそぐわない所や、現在の科学技術によって補えたり、省略出来たりする所も多々あるだろう。だが、順序としては、まず守らねばならないこと、たとえば、挨拶をする、他人との約束を守る、集合時間を守る、指定された文書の期限と様式を守るなど、変わりようがないルールは、天変地異か革命でも起こらない限り、守るべきものである。それこそ遵法精神の根幹である。「当たり前のこと」を当たり前のこととして守る。それが出来て初めて、自分なりの工夫や発見があるのだろう。

 なんだか、つまらない話になってしまった。習慣について何かいいアイディアがあったら教えて下さい。それでは!