Abyss

日々の思索と妄想と魑魅魍魎。三木清の『人生論ノート』とパスカルの『パンセ』が私の心の拠り所。Peace.

遊ぶチカラ

 自分の生活を根本から見直す。客観的なデータを取る。起床時刻、就寝時刻、食事内容、睡眠の質、運動内容、就業時刻、就業時刻、読書量、鑑賞量(音楽と映像)、工夫と発見と思索、出会った人、印象的な会話などを電子記録媒体(エクセル・ノート・はてなブログ)に残すのだ。

 私を被験者(subject )に見立てるのである。そのときに現れるのは、観察対象(object)としての自己である。行為する者(actor)、所有する者(possessioner)、関係に組み込まれる者(one of those involved)としての「私」である。

 なぜこのような不自然な行為を選択するのか。自然の流れに逆行するようなことを敢えて、金にもならないのに、するのか。それは、第一にそうせずにはおれない焦燥した気分と、第二に同じ失敗を何度も繰り返したくないという欲望と、第三にお金の掛からない知的な遊びとしての工夫のためである。

 精神の修養とは、私の知っている限りにおいて、最も知的でエキサイティングな遊びである。あらゆる感情がこの遊びの中にインストールされている。欲望との闘い、好奇心と野心の昂ぶり、非日常的な感覚の目覚め、退屈と変調と不快感、妥協と勇気と訣別、大いなる存在の気配、結晶作用、孤独感、一体感、情動の分裂、進化と発展、愛と美の直観、意味や価値観の崩壊、そして再生。

 頭の中で繰り広げられる言葉の競演は、比すべきものが見当たらない程に強烈なインパクトを持っているのは確かである。

 言葉化(数値化、定式化)という能力は、やはり、人間の持った遊ぶ力の根源なのかもしれない。