Abyss

日々の思索と妄想と魑魅魍魎。三木清の『人生論ノート』とパスカルの『パンセ』が私の心の拠り所。Peace.

個別具体的な「祈り」

 祈りについて考えてみると、私はどうやら大きな勘違いをしていたようだった。特定の宗教に属していないと、祈ることは出来ない。これは誤りである。祈り方を知らない者の祈りは無為である。これも誤りである。祈りとは抽象的な概念である。これは誤りの中でも最も罪深い誤りである。

 私は、祈りとは公の奉仕であるべきであり、それ以外の祈りは価値のないものだと思って居た。前半は正しいが、後半は誤りである。祈ること自体に既に価値が内蔵されている。祈りは座禅に似ている。主客未分の状態を意図して作り出そうとする行為であるからだ。祈りとは泣くことと似ている。祈りは、衝動的に訪れ、私をある行為の様式に向かわせ、ひとしきり済んでしまえば、まるで何事も無かったかのように過ぎ去ってしまう。

 祈りとは、特定の対象に向かって祈るのである。観念上の神や仏を実在化するための儀式である。名付けのできない現象に対する敬意と畏怖の入り混じった情緒である。そうせずには居れないから、そうするのであって、この点は自己目的化している。

 祈りには言葉が必要である。その言葉は、意味よりも響きが大切である。借り物の言葉でも構わない。詩の一節でもよい。経典の一節でもよい。自分の言葉でもよい。問題は解釈であり、深さであり、誠実さである。誠実な言葉とは、宗教に限らず、多く存在する。呟いてみてもいい。心の中で呟いてもいい。

 正直な気持ちを告白すること。誰も居ない一人の部屋で、呟いてみること。それは、孤独を癒し、荒ぶる気持ちを静め、善いものを認めるおおらかさを作る。