Abyss

日々の思索と妄想と魑魅魍魎。Peace.

価値論から仏教論へ

 価値観とは実感、経験、幼い頃から繰り返し身体に染み込ませた記憶に基づいた行為態度である。価値観はやって来るものであり、創造するものではない。やって来て、立ち去るべきものである。立ち去らせる為には、逆順で行かねばならない。つまり行為態度を自らの意志によって変化させ、記憶を変質させ、新たな経験を身体に馴染ませ、実感を持って変身することによって、新たな価値観を取り入れるのである。

 価値観とは、金銭感覚だけでなく、時間感覚、季節感覚、色彩感覚、空間認識能力、記憶力にまで及ぶ、総合的な認識能力である。花が美しいと思う人間にとって、道端に咲いた可愛らしいピンク色の花は、価値のあるものである。花が美しいと思わない人間にとっては、同じ道を歩いても、花が咲いていることにさえ気が付かずに通り過ぎてしまう。時間が大切な人間にとって、3分とは大金を産み出す貴重な機会であるが、そうでない者にとっては、あっという間の瞬間に過ぎない。

 価値観とは、世相にも反映される。ドルや円は刻々とその価値を変動させているが、それは市場価値と呼ばれる観念的な数字である。本来、数字に価値はなく、あるのは大小の差であって、そこに意味を見出すのは人間の勝手(または傲慢)である。需要と供給の適切なバランスを図ることが国家を担う政府の役割とされているが、そこには様々な政治的力学が働いており、有権者の認識の及ばない水面下の交渉が日々為されている。私がなせる最善のことは、政府に期待するのではなく、自己の潜在的な資質が、世の中の価値として認められるよう努力することである。

 価値とは絶対的なものと相対的なものと二つある。数で言えば、前者は圧倒的に少ない。

 私の価値観は、言語化できるものだけ並べてみれば以下のようなものになる。

 

・自殺してはならない

・嘘をついてはならない

・無理をしてはならない

 

 私の価値観は、殆ど世俗道徳レベルである。それについては別に恥じることもないが、どこまでも自分は平凡だと情けなくなる。

 相対的な価値観とは、以下のようなものだ。

 

・人に迷惑をかけるべきでない

・嘘も方便

・努力、根性、忍耐こそ成功の近道

 

 敢えて私の価値観と対立するものを並べてみたが、こちらの方は全て、父の価値観と一致する。私は今ようやく遅れた反抗期を過ごしているのだろう。我ながら馬鹿であるが、仕方ないとも思える。今、ようやく気が付いたのだ。

 私の場合、与えられた価値観とは父の価値観である。父の価値観は昭和の価値観であり、敗戦後の日本の価値観でもある。父の価値観は父の父(私の祖父)の価値観でもあり、祖父の価値観は、曽祖父の価値観でもあったろう。価値観とは、代々引き継がれていくものである。

 私に子供ができたら、私の子供はきっと私の価値観を手本にするに違いない。そして、いつか私の価値観に対して反抗し、そこから抜け出ようと藻掻くだろう。そして、新しい価値観を見つけ、父(私)の価値観とリミックスして、より洗練された、より確かな、より賢い判断ができるような価値観を創出するだろう。価値観とは、やはり、リミックスの原理に沿って創作される言語的構築物である。

 一方で、価値観が効かなくなるときも、現実に起こりうる。つまり、言語から離れた時である。例えば夢を見ているとき、現実の価値観は働かない。日常生活においても、言語と言語の間の微小の隙間(skit)に、意識と無意識の境に、ストンと降ってくるものがある。ふとした瞬間、ハッとした瞬間、あれと思った瞬間に、価値観が外れ、認識の枠組みがズレ、幻想が現実になったり、不可思議な現象が眼の前で起こったりする。善の限界点とは、価値観や枠組みから外れたときに、つまり心の拠り所を完全に失った時に、どのように振る舞うのかで決まる。戦争状態とは、まさにそういった限界状況であるだろう。

 一事が万事というが、これは、人間という動物の営みにおける一つの真理である。日頃から頼り甲斐のある人間は、危機的な状況に陥っても冷静さを失わずに、適切に状況を見極めて、最善の選択を為すことができる。または、日頃から危機的な状況を想定して、それに備えている人間は、焦ることが少なく、客観性を失わない。逆も然りである。

 昨今、日本は危機的と言われる。言われるが、あまり実感が無い。だから、余計に不安が増す。危機的(critical)な人生観、世界観、価値観、認識論を展開している思想が宗教、とりわけ小乗仏教であるとするならば、私は積極的に宗教について、とりわけ仏教について知りたいと思う。

 私が仏教を研究の対象としようとするのは、危機に備えたいからである。価値感が崩壊し、常識が通用しない時代になろうとしているのならば、一神教的な存在論よりも、理知的な認識論を選びたい。客観性を大切にしたい。