Abyss

日々の思索と妄想と魑魅魍魎。三木清の『人生論ノート』とパスカルの『パンセ』が私の心の拠り所。Peace.

日記のペースについて

 日記とは、鑑賞の感想、ノート、発見、体験の印象、或る種の告白と懺悔、宣誓、問い掛けなどで構成されている。私は、思いが起こるたびにブログを立ち上げ、思いの丈を言語化し、記憶や印象を文字とし、永遠の記録とすることで、何事かを成し遂げたかのような錯覚に陥った。それは、中毒性があり、私は日に何度となくブログを立ち上げて、記事を更新した。だが、今日悟ったことは、過ぎたるは及ばざるが如し、という当然の帰結だった。書き過ぎては、アイディアは育たないということだ。

 思いとは、言語化してしまうと何かが抜け落ちる。思いとは曖昧な形をしている。どのように表現したらいいのか分からない。最も単純な気持ちでさえも、そうである。美味しい。不味い。気持ち良い。気持ち悪い。生理的な快・不快も、単刀直入に言ってしまうと、そのドロドロとした触感が失われてしまう。だからこそ、言葉にはオノマトペ(仏語。擬態語及び擬声語を指す)が不可欠なのだろう。また、日本語には漢字・片仮名・平仮名という文字の魔力も利用できるから、「天才的」に表現の幅が広い。(翻訳家の柳瀬尚紀氏は、日本語の天才的なことを賛美していた)

 いずれにしても、思いついたらすぐに書くという習慣は、一度中断しようと思う。私は別にコピーライターでもなければ、作家でもなく、編集者でもなく、業界人でもなく、唯の一人のアルバイターである。しかも薄給のアルバイターである。小学生から高校生まで面倒を見る一人の塾講師に過ぎない。私のアイディアに価値を見出すのは、私以外誰もいない。つまり、私のアイディアは、全て私の習慣(改善)に関連する。だが、一向に改善しないのは、私が書いてばかりいるからだ。書くことが目的化してしまっているからだ。習慣の改善のためにアイディアを出していたのに、アイディアを出すことが習慣になってしまった。お笑いである。

 一日一記事、最高でもニ記事を限度にして、これから更新していきたい。

 書き過ぎは毒だ。