Abyss

日々の思索と妄想と魑魅魍魎。Peace.

バイオなリズム

 今日は不調だ。(いつもか)ご飯が美味しい。(いつもだ)こういう時はご飯を食べる。そして、眠りたい、夢の中へ浸りたいのだがバイトの時間が近づく。憂鬱になる。こんな暮し、こんな生活、こんな時間の過ごし方。バイトへの憂鬱が、段々と生活そのものへの憂鬱へと変化する。まだこの生活に慣れていないのかもしれない。もしくは、慣れ過ぎてしまったのか。

 天気が悪い。湿度が高く、気圧が低く、朝から体がだるい。肉体の疲れと精神の乱れがシンクロしている。働くためには、このシンクロ率を高め過ぎてはいけないのだろう。体が疲れているが心は元気である。心は憂鬱だが体は元気である。心身ともに健全である。心身ともに疲弊している。一体、日本人の労働者の健康状態はどのように管理されているのだろうか。自己管理できる領域を超えている。健康は一人で管理しきれない。そのことに、日本の「カイシャ」という組織は認識しているのだろうか。

 

 私の健康が戻るとは、一体何を指しているのか。数値目標を定めるのは、数値自体が自己目的化しやすい。何よりも、私にはそうした成果主義に対する嫌悪感、倦厭があり、一度も成功したことが無い。ダイエット然り、筋トレ然り、読書然り。大好きだった映画でさえ、数値化、リスト化した途端に、消費の対象に成り下がってしまって興醒めしてしまった。

 数に対する嫌悪ではない。元々私は理系だし、論理回路を構築するのは昔から得意だった。これは組み合わせの不味さである。味覚の問題だ。ダイエットと数値。この組み合わせが悪いのだ。最近は、数値化することが全て実証科学的だと信じているような馬鹿な輩が多い(?)が、私は真っ向から反対する。統計の罠について何も知らないのだなと、がっかりする。数値化されて初めて信頼できる、という思考回路が先ず可笑しいことに誰も指摘しないのか。または、情報ソースを提示されただけでその内容の真偽を確かめないままにして、結局、何もわかっていないまま放っておく。その不思議さは、私は未だに謎である。ただのお人好しなのか、電化製品の如く精神においても軽薄短小化が進んでいる証なのか、自分は間違えないと高を括っているのか。朱に交われば赤くなるというが、現代にアップデートすれば、馬鹿に交われば馬鹿になる、であろう。

 

 厭世気分なのだ。憂鬱とはまさに世を呪う気分だ。そしてこのような気分で仕事に望むべきではない。気持ちを切り替えて行かねば。

 

 気持ちを切り替える。この練習は、遣り甲斐のある遊びだ。