Abyss

日々の思索と妄想と魑魅魍魎。Peace.

雀鬼の言葉—予言的なること、真理めいたことなど

 区切りをつける事は、主体性を勝ち取るための第一歩である。

 

彼方から・彼方まで(過去)

此処から・此処まで(現在)

向こうから・向こうまで(未来)

 

 この六ケ所を決めるのだ。これは言うなれば「takaony」(このブログの著者名であるが、一応「自己」という言葉の代用品として使いたい。)の三次元化である。過去・現在・未来の「takaony」の橋渡し作業である。走ることに疲れ、彷徨って居る「takaony」を、一旦レースから外して、もう一度エントリーするための補佐員になるのだ。自分を救うとは、正に、自分自身を引き揚げさせる命令を自分自身に下すことである。

 

 思い出す。浪人生の頃、もう十年も前のことだ。一人寂しく、受験への熱意もとっくに冷めて、半分死にかけたような、魚のような眼をして図書館の通路を行ったり来たりしていた。新書コーナーに引き寄せられた。そこで、桜井章一さん(「雀鬼」としてその界隈では有名人)の『負けない技術』(講談社+α新書)に出会った。

 

 

負けない技術──20年間無敗、伝説の雀鬼の「逆境突破力」 (講談社+α新書)
 

 

 その中の一行を読んでホッとした。確かこんな文章だった。「海で溺れかけている人がいる。頭だけ出して、辛うじて息をしている。足は絶えずばたつかせていて、海底を掴むことが出来ない。身長が足りないのだ。足を着けば顔ごと海の中に入ってしまう。小さな波が命取りになる。そういう時、どうすればいいのか。浅瀬まで引き返すことだ。地面をしっかりと足の裏で掴めるくらいの深さまで戻る事だ。引き返すことだ。そうすれば、自分がどれほど無謀なことをしていたのかが分る。もっと引き返して、海から離れて、砂浜から海を眺めて見れば、潮の流れも見えて来る。海流の強い所と弱い所があり、波が地面をえぐってしまって、急に深くなるところがある。そういう肝心要の所、急所が判ってくる。だが、溺れている内は、絶対そんなことは分からない。溺れ死にそうな人間に、もっと突き進めという輩を信じてはいけない。自分で判断せねばならない。ここから先は危険だ。戻ったほうがいい。そういう判断力が、勝ち負けを大きく作用するのだ。」

 

 確かこんな話だった。

 

 今振り返れば、これは十年後の私への予言である。私は今潮目に居る。引き返すべきか、推し進めるべきか、そのどちらかを早急に選ばねばならない。今此処に漂っていること、何もしないまま、ただあくせく息継ぎばかりしていては、次の波が来たらもうどうなるか分からない。沖までさらわれるか、巨大な津波によって海底まで引き摺り降ろされるか、いずれにしても、先見の明が無ければ生き残ることは不可能である。そして、それはちょっとした危機意識、敏感な眼、周囲との協調で、可能である

 

 可能である。それを信じようと思う。あの本が、十年の時を超えて、今此処の瞬間の私に到来している。私を勇気づけている。否、寄り添っている。記憶とは母なることの一切であろうか。この懐かしみ、この温もり、この抱擁、過去に抱きしめられる感覚。これがあるから、未だ人間を辞められないで居るのだ。

 

 またあの本を読み返してみよう。この記憶は間違っているかもしれないしな。

 

 という訳で、今日もアマゾンをポチる日々である。