Abyss

日々の思索と妄想と魑魅魍魎。Peace.

有限なるバイタリティ・無限なるサンクチュアリ

 他人様のブログをちらほら覗かせてもらう内に、はっと気が付かされることがある。あの人の言っている事と、この人の言っている事は、置かれた立場や状況の違い、特定の固有名詞に対する認識の違い、与えられた(選び取った)職業や地位や名声の多寡こそあれど、きっと思想の根底は太い筋で繋がっている。少々古めかしい比喩を用いれば「リゾーム構造」と呼ばれる知の体系である。それを見つける瞬間がある。

 

 「竹林 リゾーム構造」で検索してみると、日詰明男(ひづめ あきお)さんという、恐らく、現在はどこか海外の大学の先生をしていらっしゃる方が運営しているホームページに辿り着いた。「竹林の賢者」と題されたその文章は、1996年5月に雑誌に投稿されたもののようである。23年の時を越えて、電子空間を彷徨いながら、私はこの文章と邂逅したのだ。(「彷徨う」や「邂逅」など、いかにも田舎臭い言い回しで、引用者として大変恐縮である)以下に、そのタイトル、全文そして引用元のリンクを貼らせてもらった。

 

『竹林の賢者』

 「リゾーム(Rhizome)」とは竹林の地下茎を意味する語である。1980年にフランスの哲学者がこの語の意味を拡張し、高度に交錯した網状構造一般を指し示す格好のメタフアとして用いた。この種の構造は脳のニューロン系や生態系、社会構造、無機物など自然界に普遍的にみとめられる。私は建築の学生の頃、この概念に大きく触発されたものだ。
リゾーム」が強力なメタフアとして結実するに先立って、高次元多様体やサイバネテイクス、カオス、フラクタルなどの新しい幾何学の発達があった。リゾームは私たちの住む世界が自己言及(ウロボロス)的であり、無限の入れ子状であり、たった3次元どころか、実質的に無限次元の深度をもってデザインされていることを暴き出す。
 しかし人類はそれまでリゾーム的な形式を全く知らなかったわけではない。たとえばどんな神話の構造も、整然とした階層に収まりきらず、表層的には矛盾やもつれに満ちているものだ。人はそこに深層におけるリアリティーを看破し愛してきたのだった。
 あるいは世界各地の土着的な住居集落は「生活」という長期的な弁証法過程を通り抜けて形成されたわけで、私はそこに神話形成と同様の法則を感じる。
 さらにケルトやアフリカ、アジアそして環太平洋の造形、身近なところで縄文美術や密教美術などに共通な、途方もなく込み入ったかたちへの執着をみれば、先史時代の人の方がよほどリゾーム的な形式に馴染んでいたといえる。
 むしろ一神教的宗教や王権、ファシズム、科学至上主義など、いわゆる「西洋的なるもの」がリゾーム的な現実を今まで意図的に隠蔽してきたのだ。なぜなら去勢された静的な世界観だけを庶民に信じさせた方が管理しやすく、自らの権威維持に好都合だから。
 ところが今世紀になって科学はついに自分の方から禁(タブ-)を侵した。リゾーム幾何学的な裏付けを伴って再発見された。西洋の良質な知性は今ようやく本格的な自己否定を始め、まったく異質な体系を理解しようとしている。極度に西洋化された近代人にとってその自己否定の苦痛は相当なものであろうし、犠牲も少なくはないだろう。
 この手の研究は「量」を唯一の神と崇める従来の科学者の手に負えるものではない。彼らにとってリゾームは永遠にメタフアの段階に止どまるだろう。独創的な造形思考こそがリゾームから知られざる普遍的な機能を引き出すことができる。普遍的な機能とは「意味」であり、かたちは来たるべき「言葉」である。これからはリゾーム的な形式を駆使して、従来の言語では語りえなかった内容を厳密に表現できるようになるだろう。その内容が普遍的であれば子どもも理解するだろうし、方言も生まれるぺくもない。
 リゾーム、それは最も魅力的で挑発的な「かたち」である。おそらく今後数千年にわたって人類が取り組むべき課題の殆どがここに潜んでいる。いわば私たちは、新しい文明の黎明期に立ち会っているわけだ。世界の構造を理解しようとする哲学的な衝動が、芸術行為とふたたぴ一体となる。オリジナリティと普遍性は両立する。失われた人間性もおのずと回復されるだろう。
 まだその仕事は手をつけられたばかりだ。

1996年5月30日 日詰明男

「mehr licht」VO1.2(1996)   

http://starcage.org/bambooforest.html

 

 「まだその仕事は手をつけられたばかりだ。」に、シビレを感じないでは居られない。なんとも90年代的な文章だ。鷲田清一さんの文章を読んでいても感じるのは、この平成初期(1989年~2000年まで)の時代の空気である。私の生まれた時代の感性である。昭和世代が毛嫌いした、一見するとニヒルを気取っているように思われるが、その内部には果てしない不安と、それを消去するための装置としての宗教的な傾斜を持っていて、手触りのある言葉を求める真摯さも兼ねていた・・・あの・・・感じ。

 なんだろう。話が大分逸れてしまったが、私の自己規定の第一条件は、「平成」という時代に限定されていると感じられて仕方がない。平成が終ってまだ4ヶ月であるが、だが、実感としてはもうとっくの昔に終わっていた。3.11はやはり大きな節目だった。(仮に、3.11の直後に「平成」の御代が終っていたら、どうなっていたんだろうか・・・)第二次安倍政権辺りから、私にとっては「平成」の懐かしみは何処かに消えてしまっているのである。これは直観的な把握によるので、何故と聞かれても分からない。唯、そこにもう「平成」的な価値観も、求めていた世界観も、私の中にあった「平成のモード」とも言うべき浮ついた気分(「近未来的な指向性」と言い換えてもいいのだろうか)はさっぱり消えてしまったのである。

 

 もう、話の筋を戻すことを止める。平成論に移る。

 

 令和の時代になってすぐに読んだ文章に、「私たちはまだ戦後から平成に至るまでの種々の問題を未解決のままにしてしまっている。令和の時代が、これらすべてを「総決算」したり「大改革」することは・・・そんな失敗を私たちはもう重ねる必要もない。」というような事が書いてあった。(誰の文章家も覚えていない)だが、私はそれに共感した。それは覚えている。

 令和時代にまず必要な事は、大袈裟な言葉遣いを止めることである。扇動する、不安を煽る、靡く、不安に押しつぶされる、孤立無援を誇示するなど、そういう下らないポーズや広告運動を止めることだ。その文字通りの意味で「真面目」「保守的」「努力」「協調」「目的と手段の一致」を求める事だ。その時、帰って来る居場所なり心理的安定性を絶対に担保してくれる「サンクチュアリ」を個人レベルではなく地域レベルで基礎づけることだろう。バイタリティは有限である。サンクチュアリは無限である。この幻想を一度復権し、或る程度のリアリティを復興させねば、と思う。