Abyss

日々の思索と妄想と魑魅魍魎。Peace.

断ち物:その痛みと歓び

 断ち物ということが私は無性に好きである。神仏に願を掛けるような意図は無く、寧ろ何の目的も到達目標も無く、只々我慢することが好きなのだ。倒錯的な喜びともいえる。だが、それが現在の私を形成していると考えれば、単なる習癖の問題とも思えない。

 

 今まで断ち物として挙げられたものは、煙草であり、菓子類、ラーメンや蕎麦などの炭水化物、時には食事そのもの、音楽、映画、読書、遊び、一切の性的快楽などである。それはことごとく破られ、破られ、今も尚破られ続けている。だが、それでも私は断ち物を止めようと思わない。不思議である。真面目である。または、愚かである。

 

 断ち物をする時、私は痛みと歓びを同時に感じる。自己を律するとは、その定義に反して、感覚的には最大限の自由を享受する機会である。または、自分の欲望のに身に従おうとするのは、定義上、欲望を最大化するはずであるが、事実、そのような経験は訪れなかった。それは私の良心に反する。では、私は自分の良心を改造するべきであろうか。欲望に忠実になる事こそ、私の良心に沿った行為である、自分の好きな事をして暮すべきである、誰に迷惑を掛けようが、罪を犯そうが、後ろ指を指されようが。私は、自分の良心の在り様を知るために、断ち物を定期的に実践しているのかもしれない。

 

 今現在断っている事柄は、以下のようなものだ。

 

・菓子類(駄菓子、パン、インスタントラーメンなど)

・淫らなこと、大袈裟なこと、過剰なこと

・座り続けること、歩き続けること、待ち続けること

・良心の声に耳を傾けないこと、躊躇するときに思うこと、時機を逃すこと

・奴隷根性、卑屈な態度、不正直なこと、落ち着きのないこと